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2003年2月下旬号

アイスフィッシングへの道

〜其の二〜 

 アイスフィッシング・・・アイスフィッシング・・・ 一体何を持って行けばいいのか? 自分の過去の記憶を辿ってみる・・・。そういえば、小学生の頃、一時「釣り」が流行ったことがあったなあ。毎週末、池や川に行って釣りの真似事をしてみたものだ。誰の家の庭に一番いいミミズ(餌)がいるかとか、どこの釣具屋のおばちゃんは親切だとか、そんな話ばかりしていた時期があった。しかし、まあ釣れたのは鮒と自分ぐらいだったが。

 というのも、どうも私の腕の振りは他の人たちに比べてかなり鈍いらしく(スポーツ万能の父は、私が小さい頃からソフトボールなどに連れて行ったようだが、中学生になる頃には私に期待するのはすっかりあきらめたようだ)、バレーでサーブを打とうとすれば、腕を振ったときには既にボールは地に転がっており、野球でキャッチボールをすれば、遠投のはずがなぜかボールが数メートル先の地面に叩きつけられ埋まっていたりで、当然竿もうまく振れなかったのである。そして、その竿についている釣り糸は、作用反作用の法則どおり見事に私の元に返ってきて、さらにその先にある釣り針は、全くこんなにうまくいっていいのかと言うぐらいきれいに私の口に・・・。漫画みたいだが、本当の話だ。きっと同じような経験をしている人が、この広い世の中にはたくさん居るはずと思いつつも、まだ10年ばかりしかこの世を渡ってきていなかった純真な私は、度重なる失態に友達に笑われ、父にあきれられるのに耐えられず、とうとう「釣り」はあきらめた。(ブームが下火になったというのもあるが・・・)

 あー、いやな思い出だ。今回はアイスフィッシング、竿を「振る」必要はないはず。しかし、それでも何かしでかしそうな気がする・・・。どうして「アイスフィッシング」?! どうしても行かないといけないのかなあ・・・。何かの拍子にまた釣り針が引っかかったらどうしよう。魚が釣り針にかかって口から血を流し、のた打ち回っている姿が頭の中に浮かんでくる。そういえば、日本で学校に勤めていたとき、釣り好きの生徒が頭に針が刺さって病院に行った事があったな・・・。更に痛々しい彼の姿が浮かんでくる。行きたくないなあ。どこまでも往生際の悪い私。
 「何時に行く?」と聞く近所の人(アイスフィッシングの「師匠」)に「さあ? いつでも・・・。どうぞ好きにセッティングして・・・」とせっかくの親切を無にするようなうつろな返事。そんな私の横で釣り子ちゃんの友人は、「ちゃんとセッティングしろよ」といわんばかりのとびきりの笑顔で私を見ている・・・。仕方なく、
 「じゃあ、11時ってことで・・・」
 友人はかなりはりきっている。
 「ねえ、わくわくしない?」 ―しない・・・。
 「これを待ってたのよ!!」 ―全然私は待ってない。
 「これがカナダ旅行のメインだよ!!」 ―なんでアイスフィッシング。
 「とうとうだね。」 ―あー、ついに。

 そこでふと、「待て、待て、たしかあの頃(小学生の頃)自分を釣るという失態を犯しながらも、それでも何回か釣りに行ったのは、何かその失態を上回る楽しみがあったからではないか」と何かがかすかに私の思い出をかすめる。そうだ! おやつと弁当の時間だ。朝早くからいそいそとおにぎりや卵焼きを作り、ポケットにお菓子をしのばせ・・・。木かげで友人達とおしゃべりしながら食べるのは、本当に楽しかった。きっと現地には、他にもアイスフィッシングをしている人たちがいるだろう。(ここで、テレビのアイスフィッシングをしているCMが浮かぶ)楽しくおしゃべりをしながら弁当を食べるのもそう悪くないのでは?? カナダ人の友人達も「クリスマスディナーの残りとかいっぱい持っていったら?」と勧めるので、すっかりその気になった。

 しかし、そのときは気付かなかったが、その友人たちも実はアイスフィッシング未経験者だったのである。ここに住んでいるカナダ人なら一度はみんな体験しているだろうと思った私があまかった・・・。冷静になってよく考えてみれば、それは「千葉県に住んでいる人がみんな東京ディズニーランドに行ったことがあるだろう」と思うのと同じことだ。そんな訳ないのである。マイナス何℃の中、氷のはった湖の上で、そんなに楽しくピクニックができるか?! それは、後に大失敗となってまさに私の肩に重くのしかかるのであるが、このときはまだ知る由もない。
 面倒な竿などの道具類は近所の人にまかせ、当日の朝は友人より先に起きてお弁当とおやつの準備をしていた私。しっかり着込んだし、バックパックもはちきれんばかりだし・・・。今日は楽しいピクニック、じゃなくて「アイスフィッシング」!!

泰子


ワタリガラス

 冬になると妙に目立つ鳥がいると思ったら、それはワタリガラス(英語名Common Raven;学術名Corvus corax)だった。山も川も湖も雪と氷に被い尽される純白の背景の中にあって、なにやらノッソリとしたその漆黒の姿は、さながら砂糖入れの中に紛れ込んだ蟻のような際立つ異質感を放ち、目を逸らそうにも視野の片隅に強引に割り込んでくるようだ。
 他にもアメリカガラス(英語名American Crow;学術名Corvus brachyrhynchos)という小型のカラスがいるのだが、何故だかワタリガラスほど目立ちはしない。同じカラスでありながら、ワタリガラスはなにか特別人の目を引きつける。勿論「カラスの中では最大」という大きさも関係するのだろう。しかし、何よりも際立って他の鳥と違う点とは、我々人間の行動に対してかなりデリケートに反応する事と言えるだろう。まるで、1対1での微妙な駆け引きをしているような感覚を人間の側が受けるのだ。
 それに対して、他の種類の鳥は概してこんな感じである。
(普通にしているぶんには全く人間の事など気にしないが、ひとたび人間が彼らの防衛線を越えて近づくと蜘蛛の子を散らすようにワッと消え失せてしまう・・・)
 ワタリガラスの人間に対する駆け引きには色々なスタイルがあるようで、人の行動パターンと同じ種類だけ存在すると言っても過言ではないほど多彩だ。その中には、人間を観察すると言った事も含まれる。文中に少々オーバーな表現がある事をお許しいただいて、私も以前このような経験をしたことがある。
 
・・・ある日のこと、野暮用を片付けようと目的地への近道となる裏通りを歩いていた。ところが、突然なにやら背中がむず痒く感じる。日頃経験するところの「誰かの視線を感じる」と言う奴だと即座に分かった。「ははぁ、私の魅力的な容姿に惹きつけられた美しい令嬢が、私から目を離せなくなってしまったのか。我ながら罪な男だな、フフフッ。」と、余裕の笑みを浮かべながらスマートにくるりと振り返ると、そこには暗黒のマントを羽織った老婆のようなワタリガラスが1羽、黒い体にあって何故か際立つ黒く光る目で、いかにも興味無さげに私を見ていた。にわかにはその現実を把握できなかった私は、そんなはずはないと辺りを見まわす。しかし人っ子一人見当たらない。その場にいるのは私と老婆のようなカラスだけ!小さな砂山が風に飛ばされて雲散霧消するように、私の精神もサラサラと音をたてて崩れ去って行った。しかし、そこは腐っても生物界の頂点に立つ人間様、一瞬後には我に帰り、なんとか自分を取り戻した。そして、そのまま立ち去っても良かったのだろうが、その時はなんだか腹の虫が治まらなかった。そこで、どうにかしてくれようと一、二歩カラスに詰め寄る。するとカラスは、鬱陶しげな態度でノソノソッとゴミ箱の向こう側へ隠れる。その時のカラスの後姿が私にこう語っていた。「アンタに私が捕まえられっこないじゃないの、このオタンコナス。」・・・ 深追いし過ぎると2倍痛い目に会うという教訓でした。

 ワタリガラスの名前の由来は、日本におけるこのカラスの渡りの習性からきており、稀に北海道に少数のワタリガラスが飛来する。しかし、北米やヨーロッパでは留鳥で、それをオオガラスとし、ワタリガラスをその亜種とする説もある。ここでは一般的な和名である「ワタリガラス」を使わせていただいた。
 日本では天照大神の使者、中国では太陽に住む火の精、北欧神話においては主神オーディンの使い等、世界中の神話に登場するこの優れた知能を持つ鳥。一筋縄ではいかない曲者中の曲者と言えるだろう。それだけにとても面白い奴だ。   

小池健一朗


旅へのいざない

〜イタリア編2〜

新しい年が明けてすぐ、雪降るベニスと木枯らしのフィレンツェに行ってきた。摂氏二度と気温は低いものの、澄み渡った青空に誘われ、フィレンツェのアルノ川の岸を気の向くままにぶらぶらと歩いていたときのこと。
 ウフィッツィ美術館の裏手あたりで、何するわけでもなく佇むひとりの老人に出会った。片言の英語とイタリア語で言葉を交わしているうちに、老人は「あの丘に登るといい」と熱心に川向こうの小高い丘を指差す。そこには、街を見下ろすようにダヴィデの像が立っていた。(う〜ん、景色がいいのはわかるけど、この気温だし、歩いていくのはちょっときついな・・・)心ではそう思いながらも意に反してうなずいているぼく・・・。

 その20分後、ぼくは汗だくになってダヴィデ像のすぐ横に立っていた。丘からの見晴らしは予想以上に素晴らしく、流れる雲がドゥオモの丸屋根に陰影を映し出している。ブルネレスキ、ミケランジェロ、ダビンチ・・・この街をつくったルネッサンスの芸術家たちに思いを馳せながら、しばしその場に佇む。
(さっき、あの川のほとりで老人に出会っていなければ、わざわざここへ来ることもなかっただろう・・・)
 ちょうど街へ戻るバスが上がってきた。急ぎ足でバス停に向かう。乗り込んで車内を見回すとお客はたったひとりだけ・・・。それがまたさっきの老人だった。まるでぼくが丘に上がったかどうかを確認にきたかのように、驚きもせずに微笑んでいる。「この上に綺麗なチャーチがあるから行くといい」とバスが走り出すやいなや熱心に次の提案だ。(えぇ? これから街へ戻ろうと思ったのに・・・)でも、意に反してバスを降りる身支度するぼく・・・。

 サン・ミニアート・アルモンテ教会・・・。長い階段を駆け上がるとその裏手は墓地になっていて、おびただしい数の大理石の十字架が並んでいた。眼下には、先ほどにもまして素晴らしいフィレンッエの街の景色が広がる。
(さっき、あのバスで老人に再会していなければ、わざわざここへ来ることもなかっただろう・・・)
 果たして、ぼくは本当にそんな老人に出会っていたのだろうか?もしかしたら、遠いぼくの記憶の隙間から湧き出した幻影だったのかもしれない。目の前の墓石の聖母が、すべてを包み込むような優しい表情で腕を広げていた。

滝元 隆伸


静かな冬の映画紹介

 アメリカが世界中をまきこんで戦争を起こしそうなこの頃、今回は戦争映画をご紹介したいと思います。

 まずは最近の秀作『Black Hawk Down』。アメリカ軍による11年前のソマリア介入を描いた作品ですが、この作品は圧倒的な臨場感が特徴です。戦争の狂気、戦場の混乱、兵士の焦燥感と責任感、兵士間のチーム意識と友情・・・。爆発によって吹きあがる砂埃、兵士の体から吹き出される血と汗、タイヤが焼かれた後の煙、地面に落ちて行く無数の銃弾・・・。「戦争」という二文字を構成するその大部分が確実に映像化されていて、細かく洗練されたシーンの数々が戦争の無情さを非常によく表現しています。近年の戦争映画でビジュアル的にビックリさせられたのは、Steven Spielberg監督の 『Saving Private Ryan』でしたが、この作品はそれに勝るとも劣らない素晴らしい出来映えだと思いました。

 湾岸戦争を舞台にしたGeorge Clooney主演の『Three Kings』も特徴的です。イラク軍がクウェートから略奪したと思われる金塊をアメリカ軍兵士がさらに略奪しようとするストーリーですが、スタイリッシュな映像とユーモア溢れる場面を通して戦争の残虐性を訴え、矛盾だらけのアメリカの軍事介入を痛烈に皮肉る事に成功しています。正義のためと言いつつ、実は経済的利益のために湾岸戦争に突入した母国アメリカを糾弾する展開は実に痛快。編集がバタバタとしてまとまっていない印象があり、アメリカの良心・正義もバランスよく映されている事に不満は残りますが、ここ最近見るのに最適な一本じゃないかと思います。

 最後は、ソ連の巨匠Andrei Tarkovsky 監督の『My Name Is Ivan(僕の村は戦場だった)』。ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞した1962年の白黒映画ですが、いま見ても斬新な映像と痛ましいストーリーは全く古さを感じさせません。家族と生き別れて、戦場しか自分の生きる場所が無い少年の悲惨な現実ときらびやかな夢想シーンとのコントラストが、グサリと胸に突き刺さります。

 その他、アカデミー賞を獲得した『Platoon』や『Sindler’s List』、カンボジアのポルポト派による大量虐殺を描いた 『The Killing Fields』などは、アメリカ政府高官にいま一度見て欲しい作品ですね。


Tomo Goda


Bingo A Go Go

 先週、初めてビンゴに行った。ビンゴといえば小学生の時に遊んだくらい。ギャンブルとしては今回が初めてである。実は今までビンゴにはうさんくさいイメージしか持っていなかったのだ。というのも、6年間のカナダ生活の中で得たビンゴホールのイメージは、「青白い蛍光灯の光に照らされた部屋でチェーンスモーカーのおばちゃん達が言葉少なく遊んでいる」というものだったからである。周りの同世代(20代)のカナダ人の友達たちもビンゴをバカにしているようだったし、いつも会場となっているのはLegionという退役軍人会の建物。自分にはあまり関係のない世界のように思えた。
 ところが、だ。ある日仕事場のギャンブル好きの友人に誘われた。
「今度ビンゴ行かない?」
 いつもLegionの前を通ると「BINGO NITE Thursday」と書いてあるので、バンフでもビンゴをやっているのは知っていた。聞くところによると彼女はよく行っているらしい。賞金も最高額$1000。なかなか現実的な金額である。「まあ$10くらいで遊べるなら、あの未体験のビンゴの世界を覗いてみるのも面白いか」と思い、OKした。

 そして、私のビンゴデビューの日がやってきた。他にももう二人ビンゴ初体験の友人が同行することになり、その日は仕事場で「$1000当たったらどうする?」という初心者にはありがちな話題で盛り上がった。しかしながら、8時ぎりぎりまでしっかり仕事をし、その後ビンゴホールへ向かった。

 緊張しながら中に入ると思った通りうさんくさい。でも、薄暗い会場にはバーカウンターもあり、ほとんど満席だ。もうゲームは始まっており、みんな席についている。参加者の顔ぶれを見てみると、私の予想と裏腹に若者の姿も結構みられる。でもやっぱりおばちゃん多し。みんな一攫千金を狙ってきているのだろう。ギャンブル好きな友人は、ずんずん奥へ進み席を探している。ちょうど4人座れる席が空いていると思うと、その6人がけのテーブルに2人で座っているおばちゃん達は、机いっぱいに十数枚カードを広げていて、私達の座る隙間はない。やっと見つかったテーブルでは、別のおばちゃんが1人でタバコを吸いながらゲームをしている。彼女は快く相席に同意してくれた。

 荷物を置いてまずはカードを買いに行く。テーブルの上には、違う組み合わせの数字が並んだ四角いカードが山積みになっており、これらは何度も使えるように数字の上にスライド式の赤い窓がついている。カード自体は、昔風のオレンジや青色でなんともいえない古臭さ。「わたしはいつも2枚買う」という彼女に見習い、みんなとりあえず2枚ずつ選ぶ。1枚$1である。その横に、さらに紙でできた2組のビンゴ用紙が並ぶ。ひとつはビンゴのマスが4つついており$1、もうひとつは6つで$2。この紙のものは、今夜1回のみのゲームらしい。これも各自1枚ずつ購入し、席に戻る。

 さあ、こうなるとゲームに参加するのが待ち遠しい。カードと用紙を眺めてみると、1マスにB・I・N・G・Oに分かれた縦5列、横5列の25個の数字が並んでいる。カードを多く買えば買うほど1度にゲームできるマスが増え、ビンゴの可能性が上がるという仕組みだ。数字は、マイクを持ったおじさんによってオークションに似た口調で「ビーサーティーン、ビーサーティーン」(Bの13)などと読み上げられる。当たりも一列だけでなく、いろいろな種類があり、その難度により金額が変わるらしい。
 やっと1ラウンドが終わり、私達が参加できる時がきた。ワクワクしながら耳をすます。最初に当たりのコンビネーションと賞金の額が告げられ、ゲームが始まる。「お、$15か。結構低いな」と思いつつも、自分のカードにある数字が呼ばれると嬉しい。ビギナーズラックという言葉もあるが、なかなか数字が揃わない。と、その時、隣のおばちゃんが
「ビンゴ!!」
 ビギナーズラック横取りである。「なんだよ、おばちゃん」と思いつつも、一応おめでとうを言う。係の人が、おばちゃんのカードを持ち去りチェックする。
「We have a winner.」
おばちゃんには現金が手渡される。ニヤニヤの彼女を横目に、気を取り直し次のラウンドへのぞむ。するとほどなく、
「ビンゴ!!」
また隣のおばちゃんである。日本人ならば「あらやだわー。また勝っちゃって」くらい言っていそうな様子だ。私達4人は顔を見合わせて
「またこのおばちゃんだよ。もしかしてこのテーブルは運がいいのかな。」
とささやき合う。結構いい線まで行った人もいたが、おばちゃんがあがるのが早すぎた。
 そして一時休憩。アナウンサーがカードの値段が2枚で$1になったことを告げている。それならばと初心者3人でもう2枚ずつ買いに走る。常連の友人は、彼女なりのポリシーがあるらしく、2枚のまま。私にしてみれば、カードが多いほどビンゴの確率も増え、楽しそうだ。「今度は勝てるな」とニンマリしながら目の前にカードを並べる。

 またアナウンスが入り、ゲーム再開である。
「あ、だめだ」「えー、もうビンゴ?」「まただ」「くやしー」
と私達のテーブルは、今まで運の良かったおばちゃんも含め負け続き。しかしながら、合間にあーだこーだ言いながら、ハラハラドキドキしながらのゲームはなんとも楽しいものである。勝ちのないまま長いと思っていた2時間はあっという間に過ぎてゆく。
 そんな調子で、とうとう最後に賞金$1000のブラックアウトというゲームがやってきた。決まった数(今回は53回)内にマスひとつ全部塗りつぶされると$1000である。さすがにこれはビンゴが出るまでに時間がかかる。この時ばかりは「まさか当たるまい」と自分に言い聞かせながら、アナウンスに耳をすませる。な、なんと、結構いい具合にゲームが進むではないか。「あと4つ」、「あと3つ」、「あと2つ」。はやる心を抑えつつ・・・
「ビンゴ!!」
 会場内から落胆のうめきがあがる。みんなテーブルから残念そうに顔を上げ、ビンゴのおたけびが上がった方向に目を向けている。ああ、終わってしまった。勝者は私ではなく、数テーブル離れた所に座っていた女の人だった。しかし$1000規定の数内でのビンゴではなかったため、彼女の配当金は$50に終わった。
「いやー、残念だねー。」
と見合わせた私達の顔は、しかし晴れ晴れとしたものだった。ビンゴは勝敗がはっきりとしたケチのつけられないゲームである。しかも、私達全員とも使った金額は$10以下。それであんなにハラハラと小金持ちになる夢を見させてもらったからには文句なし。

 去年は$1000を当てた日本人の女の子がいたという。私が勝った暁には、そのスリルをまたたっぷりご紹介しましょう。

 それでは皆さん、ビンゴホールで会いましょう。

大前豪


静かな冬の読書紹介

 インフォルームの貸し出し図書の利用者もどんどん増え、今回の初めての試みが成功し、皆様のお役に立てたことを大変嬉しく思っております。そして、貸し出した図書はほとんど自己管理に頼っているにも関わらず、みなきちんと決まった期限に返却されています。皆様のご協力とマナーに心より感謝いたしております。ありがとうございます。
 それでは、バンフタイムズが日本から新書を入手いたしましたので、ご紹介いたします。

『ハゴロモ』吉本ばなな著 <フィクション>
 1月20日に発売されたばかりの新書。前作同様、癒しテーマで贈る吉本ばなな独特のふんわりと流れるような小説です。失恋はいつの時代もとてもつらく悲しい、その痛みが手にとるように実感できる物語です。また、どんなに打ちひしがれても、必ず回復の希望があると教えられる小説でもあります。18歳のころから8年間も続いた愛人関係が突然終わり、東京の雑踏にひとり置き去りにされた主人公は、失恋の苦しさに押しつぶされそうな毎日を過ごしていたが、ある時ふらりと田舎に帰ります。雪に包まれ、川の流れの美しいその町で静かな日々を過ごすうちに、不思議な縁と大きな優しさに包まれながら、その苦しさが徐々に癒されていく。

『5日間のパリ』ダニエル・スティール著 <フィクション>
 出版する度にベストセラーにあがる著者の代表作。パリを舞台に繰広げられる男女愛がテーマです。大社会、金、地位、欲のうずまくアメリカ社会を浮き彫りにした背景もとても面白味があります。ダニエル・スティールの小説は、とてもシンプルで美しい流れの英語で書かれていますので、一度、日本語版で読んだものを次に英語で読み返すとよい英語の勉強になるでしょう。

『半落ち』横山秀夫著 <フィクション>
 日本で今一番の話題サスペンス小説。週刊文春の2002年度ミステリーベスト10で第1位になった作品です。殺人容疑で逮捕された容疑者を中心に展開する警察、裁判小説です。

『更年期を美しく、らくに過ごす』女子栄養大学出版部
『更年期障害、症状と治し方』成美堂出版
『知っておきたい男の更年期』池田書店

 日頃手に入りにくいものの中で、更年期シリーズを少し集めてみました。つい最近まで病気として真剣に取り組まれていなかった「更年期障害」は、早ければ20代後半から症状の現れる人もいます。また、女性のみならず男性にも更年期障害があるということが、最近話題になっています。症状を把握し、心の準備をすることや家族やパートナーと悩みを共有することでその症状の苦しみを和らげ、少しは楽に過ごせるということなので、ぜひ一読を。

『地球の暮らし方・カナダ』
『地球の暮らし方・ニュージーランド』
『地球の暮らし方・オーストラリア』
『成功する留学・カナダ』
『成功する留学・オーストラリア&ニュージーランド』
『地球の歩き方・ニュージーランド』
『ワーキングホリデー・オフィシャルガイドブック』

 外国へ旅行したり、そこで暮らしたり学んだりするのは、私達の永遠の憧れです。まだまだカナダ国内を旅行したい人、これから他国へ旅立とうという人、勉強の道を選ぶ人のために参考資料をそろえました。このガイドブックシリーズは、貸し出しはしておりませんのでインフォルーム内での閲覧となります。

 


Let's Talk Like Canadians!!
〜英会話ワンポイントアドバイス〜

Drop in = Drop by = Stop by = visit(立ち寄る)

この3つのフレーズはすべて同じ意味を示しています。ネイティブ同士の会話を聞くとよく耳にするフレーズですが基本的には友人同士の会話でちょっとどこかへ立ち寄る時に使います。使い方は下記の例文を参考にしてください。

<Situation 1> Two friends meet on Banff Avenue.
Friend 1:
Hi Keiko, where are you going?
Friend 2: 
I have to stop by Safeway on my way home.
Friend 1: 
What are you doing later?
Friend 2: 
Nothing, you should drop by for some coffee.

<Situation 2> Two friends are walking home together after work.
Friend 1: 
There is Yumi’s house. We should drop by and surprise her.
Friend 2: 
I don’t think that it is a good idea to drop in without calling first.
Friend 1: 
I think that it is OK to stop by.

<Situation 3> 
To visit the doctor without an appointment.
Shizue: 
I don’t feel so well. I should go to the doctor.
Nao: 
The clinic around the corner has drop in appointments available.
Shizue: 
What does drop in appointments mean?
Nao: 
You can just drop in the office without making an appointment first.


BY Jannine Rossi (Banff Education Centre講師)

 


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