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壮大な自然の中、森林限界線より上でのスノーモービル。自然が魅せる景色は、自分を走り立たせる。吸い込まれる自然に対して、ただ漠然となった。
場所はカナダとアラスカの国境にある町、スチュワート。BC州の北に位置し、コロンビア大氷原より大きな氷原に囲まれた町で、たくさんの黒熊とグリズリーが生息している。人口400人ほど。以前は金がたくさん採れ栄えた町だ。8月と9月には、川でサーモンハンティングをしている熊の姿を見れる場所ということでも有名だ。
5月14日にバンフをヒッチハイクで出発した僕は、4日後、この美しい町へとやってきた。町から氷河が見え、様々な鳥達がさえずり、町を歩けば初対面の僕とフレンドリーに挨拶を交わし、笑顔でさりげなく話しかけてくる人々がいる。ゆっくりとした時が流れるすこやかな町だ。
この町に来る前に乗せてもらい仲良くなったカップルが、町に着いた次の日に、僕を雪のある場所まで連れて行ってくれた。名前はヨーハンとチョレイシー。ヨーハンは、スチュワートの町までつながっている道のアバランチコントローラーとして働いている。雪崩の危険性があれば、大砲のようなもので斜面を打つ。あらかじめ雪崩を起こし、事前に雪崩事故を防ぐ。声がとても低く、日に焼け、濃い髭を伸ばし、容貌がまるでシルベスタースタローンの様な人だ。チョレイシーは、夏は町にひとつだけある銀行とレストランで働き、冬は大型除雪車に乗ってスチュワートへつながる道の除雪作業をしている。ヨーハンがアバランチコントロールで崩した雪をチョレイシーが取り除くというわけだ。
そんな二人がスノーモービルで一日中遊びに連れて行ってくれた。2台のスノーモービルで、標高500mから一気に1500mまで登った。そこは、360度パノラマで真っ白な山と青い氷河が眺められる場所だった。20kmほど離れた先に見える縦10km、横2kmのサーモン氷河が鋭い谷の中でうねっている。天気は良好で、風は思ったよりなく、心地よい風が僕たちを包み込む。
そして、場所を移動すると横幅2km高さ500m程の巨大な山が見え、その頂上まで30°程の角度で上れる。そこを雪山で出会った他のスノーモービラーが、時速150km以上のスピードを出しもの凄い勢いで頂上まで駆け上がっていくのを目のあたりにした。スノーモービル歴のない僕にとっては、何もかもが新鮮だった。
僕も自分で運転してみたくなり、まず山の麓で一人試運転。少し慣れたので思い切って上がってみた。斜めに上がっていくので運転しながら立ち上がって斜面側に重心を傾けて登っていく。これ以上は傾斜がきつくて登れないと判断し斜面を降りはじめた。その時、大きな感動があった。突如広がる180度の大パノラマだ。青い空と研ぎ澄まされた山と氷河が目の前一杯に広がったのだ。まさに自然のジェットコースターに乗っている気持ちで一杯になった。
次の日、ACMG(Association of Canadian Mountain Guide)デイハイクガイドでもあるヨーハンと二人でハイキングに出かけた。そこはバンフのように整備されたトレイルではなく、100年以上前に金鉱のために作られたトレイルで、夏の時期もそれほど人が歩かない。いたる所で倒木がトレイルをふせぎ、草木がかなり茂っていた。しかし、逆にルートファインディングや危険予知などの勉強にもなった。ヨーハンが色々と僕に教えてくれた。
このハイクの時に、僕たちは一緒に一匹の犬も連れていた。名前はベニー、六歳の黒色。ベニーは雪崩に遭って雪に埋もれた人を探し出すトレーニングを受けているので、穏やかだが研ぎ澄まされた感性を得ている。ハイキング中は、僕らより10m程先を歩き、熊等の危険動物がいないか常に見てくれた。いざ熊と遭遇した際にはベニーが注意を引いてくれるのでとても頼もしい。
目的地に近づくと予想以上に雪があり、少し苦労しながら金鉱の建物へ着いた。100年間以上使われていない建物は今にも崩れそうだった。金などの鉱石を下に運ぶためのケーブルが建物から下に伸びており、錆びれてはいたものの、まだしっかりと繋がっていた。
4時間で登り、2時間で降りた。それから、ヨーハンとチョレイシーの家の庭で食事をご馳走になった。その時、ヨーハンが20cm程の石を一つ僕に渡してきた。その石を持った瞬間、ズシッと重みを感じて驚いた。よく見ると、金粉が至る所に付いていた。「この石をどこから?」と聞いてみると、「庭を掘ったら出てきたんだ」と言った。このあたりの山にはまだ沢山の金が眠っているのだと実感し、「金鉱山で一儲けを」とふと思い描いた。
壮大な自然で掴み取るものはとても大きく、気分を開放してくれる。自然とは壮大な劇場である。
薮木崇之
旅へのいざない
〜カナダは魅力いっぱい・2〜
引き続き、カナダの魅力の場所をご紹介しております。旅にでて日常の生活から一歩はなれれば、気持ちもリフレッシュ。思い立ったが吉日。さあ、でかけましょう。
紅葉のメッカ、「アルゴンキン州立公園」
東カナダの紅葉の美しさは、いまやとても有名な話。だれでも、一度は訪れたいと憧れている旅先のひとつでしょう。一概に東カナダの紅葉といっても、広大な範囲のため、標高や気候により、見ごろな時期や場所はまちまちです。総体的に、9月中旬から10月中旬が紅葉のピークにあたり、名所はケベックシティとその周辺、モントリオール、ローレンシャン高原、オタワ、ナイアガラなどです。ここでは特に、私が個人的にも大好きな紅葉の場所をご紹介します。
トロントから北へ約250kmほどあがったところに位置する「アルゴンキン州立公園」。この州立公園には、7,600km2にも及ぶ広大な森林に、いくつもの湖が点在しています。特に有名なのが無数にあるカヌールートで、大自然の中、カヌーキャンプやハイキングをする人たちのメッカとなっています。広い公園内には60号線という道路が一本通っており、カヌーやキャンプをせずこの道をドライブするだけでも、大自然と紅葉を楽しむことができます。公園の西門から東門までのドライブはまさに、「夢の紅葉ハイライト道路」とでもいうべき美しさ。
トロントから向かいアルゴンキン州立公園へ入る手前、「ハンツビル」という町付近は、休暇を楽しむトロント人たちの憩いのリゾート地として有名です。紅葉観光だけではなくゴルフ、テニス、ボート遊びなどのアクティビティーも盛んです。遠藤千晶
Let's Talk Like Canadians!! Beats
me. (It beats me.の省略形)
BY Annette Aarts (Banff Education Centre講師)
Banff再発見 シリーズ @ バンフは、世界中のどこにも見られないようなユニークな街と言われています。世界に誇る大自然の中に、便利な近代設備の街があるというだけではなく、この街の歴史そのものに特徴があります。 志村房子
〜英会話ワンポイントアドバイス〜
(知らないね・知らない)
"Beats me. "を、「私を叩いてください」と間違えないでください。このフレーズは、質問の答えが全く分からないときに使います。"I don't know." や"I have no idea."と同じような意味を示します。
●Situation 1
Friend1: Do you know what's is playing at the movies tonight?
Friend2: Beats me.
●Situation 2
Student1: That was a long lecture. Do you know what was said?
Student2: Beats me.
●Situation 3
Husband: What's for dinner?
Wife: Beats me.
●Situation 4
Girlfriend: When is this relationship going to move on to the next level?
Boyfriend: Beats me.
〜バンフは文化の無い、ただの田舎町?〜
バンフ周辺の人間の歴史としては、 11,000年前に人が既に存在していた証拠が、バーミリオン湖あたりに発見されています。当時このあたりにいた人々は、現在、アルバータ州やカナダ各地に広がっている先住民族の人々の先祖であろうと考えられています。
1867年にオンタリオ、ケベック、ノバスコシア、ニューブランズウィックの4州からなる国、カナダが誕生しました。現在ブリティッシュコロンビアと呼ばれる土地をカナダの一部にし、この新しい国を大西洋から太平洋まで繋げるべく、カナダ太平洋鉄道 (Canadian Pacific Railway)が引かれました。この鉄道工事が、現在のバンフ地域に達したのは1883年。鉄道工夫の3人が、サルファー山の麓に温泉を発見します。
ところが、他にも「発見者」が現れ、この多大な利益を生む可能性を秘めた温泉の利権争いが始まります。カナダ政府が、この温泉をカナダの国民の健康と楽しみの為に保護するべく、温泉の周辺26km2をカナダ最初の国立公園 “Rocky Mountain Park”と制定し、利権争いは治まります。このカナダ初の国立公園は、のちに“Banff National Park”となり、現在6,641km2の面積を占めています。そして、この温泉が現在のケイブアンドベイスン(Cave & Basin) − カナダ国立公園発祥の地となります。
CPR(カナダ太平洋鉄道)は、ここの景色に大きな経済的可能性を見出し、路線沿いにバンフスプリングスホテル、シャトーレイクルイーズといった一流ホテルを築き、世界中から旅行者を呼び集めます。そして当時の宣伝をになったのが、壮大なロッキーの自然を描いた絵画でした!
CPRは、東部カナダの優れた画家に鉄道の優待券を送って、このカナディアンロッキーに招き、この雄大な景色を描いてもらいました。そうした絵を展示したり、ポスターやパンフレットに印刷して大々的な宣伝活動をする事により、旅行者・芸術家・科学者・探検家が集まり、更にまたロッキー山脈の文化に貢献する事になるのです。
「バンフは山の中の小さな街だから、文化なんて無い」などという印象を持ったまま過ぎてしまうとしたら、それはこのバンフの広く深い文化に目をつむったまま過ごしてしまうような残念な事かもしれません。ちょっと気をつけて見れば、驚くほど身近なところに、多くの人々の人生さえ変えてしまった自然・文化遺産が存在している − バンフはそんな街です。
資料提供: WHYTE MUSEUM of the Canadian Rockies
静かな秋の映画紹介 『Fly Away Home』(邦題:『グース』)
Chiaki
〜この季節にぴったりの作品〜
この映画は1996年に封切。舞台はカナダのオンタリオ州。カテゴリーはファミリー向けとなっていますが、どんな年代にも幅広く愛される感動ストーリーです。とにかく物語の組み立てがスムースで受け入れやすく映像がとてもきれいです。有名なシーンは、カナダの燃えるような紅葉の森の上を飛んで行く空撮。果てしなく広がる空に、ゆうゆうと翼を羽ばたかせながら飛んでいく鳥達の姿と夕暮れには真っ赤な夕日が輝くシーンは何度見ても感動の場面です。
主演は、1993年の『ピアノ・レッスン』で助演女優賞を獲得したアンナ・パキン。今回は13歳のニュージーランド少女として登場します。クレジットタイトルの映る冒頭の場面では、実音が消された交通事故の哀しいイメージから始まります。母親をこの事故で亡くし、遠くカナダにいる父親のところに連れて行かれる寂しさただよう少女エイミー。
<あらすじ>
母親を交通事故で亡くしたエイミーを向かえにきたのは、今までほとんど会った事もなかったカナダ・オンタリオ州在住の父親、トーマス。
オンタリオの自宅で仕事をするトーマスは、芸術家であり彫刻家でもあるが、そんな風変わりな父親とは、なかなかなじめずにエイミーは日々孤独になっていく。
ある日、森で母親が死んでしまったカナダガンの卵16個を見つけたエイミーは、その卵を持ち帰り、孵化することに熱中する。鳥は、産まれて初めて見た動くものを母親と思い込む習性があるので、16羽の雛たちはみなエイミーを母と思い、育っていく。孤独だったエイミーに生きる楽しさが見えてきた。ガンの子供達を大切に育てていくエイミーだが、秋が近づく中で大変な問題にぶつかる。カナダガンは冬が来前に、越冬のため、約800km南下渡りをしなければならない。渡りを子供達に教えられるのは母親鳥しかいないという。
トーマスは、以前から軽飛行機を作り、自分でも飛ぶ練習をしていたため、この問題を解決するにはエイミーにも軽飛行機を与え、飛行を練習させて鳥たちと一緒に飛ばせるしか方法がないと決心。このあたりから仲のギクシャクしていた父娘の心のふれあいが始まる。
試行錯誤を重ね、いよいよ出発。カナダ・オンタリオ州からノースキャロライナまでの4日間800kmの空の旅が始まる。カナダの秋深く、ママグースと名乗るエイミーの16羽の子供達をつれた大空への旅は続く。
16羽のグースが大空に羽ばたく美しいシーンは、コンピューターグラフィックでも合成でもなく、本物の貴重な映像です。また、実際に自分が軽飛行機で誘導し、鳥に渡りを教えた人物(このストーリーのモデルとなった人物)がカナダに実在するそうです。
一度観た方も初めての方も絶対楽しめるこの季節にぴったりの映画です。
カナダで読むバイブルストーリー19
〜新たな出会いと大切な別れ〜
バンフの町はたくさんの方が訪れる場所で、多くの方との出会いがあります。でも同時に、幾人かの方と別れるという現実もあります。新たなお友達ができるのは嬉しいのですが、親しくしていた方を送り出すのは、やはり少し淋しいですね。
私は幼い頃、正月や夏休みに、父や母の実家にいとこ達と集まって遊ぶ事がとても楽しみでした。ところが、毎回彼らと別れる時がやってくるのです。「また今度一緒に遊ぼうね」と言って送り出せば良いのでしょうが、見送る事がつらかった私は、彼らとは顔を合わせないで、一人で遊んでいた事を思い出します。
大人になってから、特に牧師になってからは、人との出会いと別れの大切さをひしひしと感じます。カナダへ来させて頂いてからも、日本でお世話になった方の知り合いという方に会い、またお世話になる事も度々です。
40年近く前の事になりますが、日本の若いM青年がサスカチュワン州にある聖書学校に入りました。親の反対を押し切って来たために、身内からのサポートはありませんでした。学費が払えなくて困っていた貧しいM青年でしたが、滞在していた教会のA牧師は、集会後、彼を部屋のドアの所に立たせ、目をつむらせました。彼には何の説明もありません。すると、その教会の人達が彼のポケットに代わる代わる手を突っ込んで行きました。誰がどれだけ入れたのか分かりませんが、学費を払うだけのお金が入っていました。
それから30年後、A牧師の息子Lが日本へ宣教師としてやって来ました。彼は以前働いていたイギリスのキリスト教団体から支援を受けていますが、物価の高い日本では子供達の授業料だけでも大変です。ところが、日本で彼を受け入れ支援した教会がありました。それは、以前貧乏学生だったM青年の教会でした。実は、彼は日本のその教会と団体のリーダーになっていました。今は老齢となられたカナダのA牧師が、5年ほど前に日本に来られた時に、「神様は真実な方だ」と、私にこの話しをしてくださいました。
バンフ周辺の地域で働いている方々にとっては、出会いと別れの季節がやってきましたが、知り合いになれた方々すべてを大切にしたいですね。Grace Japanese Christian Church
牧師 丹羽博志
2003年10月2日更新