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エドモントン総領事館特集
〜在留邦人を見守り続けて36年〜
10月21日と22日の両日にカルガリーの日系人協会ホールで、在エドモントン総領事館の領事出張サービス「1日総領事館」が開かれました。この2日間で100件を越えるパスポートの交付や各種証明の発行、選挙人登録等があったようです。22日の夕刻には、竹内総領事主催でカルガリー及びバンフの在留邦人コミュニティー代表者との意見交換会が開かれ、バンフタイムズからも参加させて頂きました。
初めてお会いした竹内総領事は、外交官と言うお堅いイメージからほど遠く、とても気さくで快活な方でした。「総領事館の使命は先ず、在留邦人の方々への領事保護で、その上に良好なアルバータ州との関係をその方々と一緒になって更に固いものにしていきたい」と強調されていたのがとても印象的でした。
★総領事との対談★
竹内好一 総領事・1943年・京都府出身
(たけうち・よしかず)
<エドモントンにはいつ、どちらからいらしたのですか?>
昨年6月に旧任地のオマーンのマスカットから赴任して来ました。オマーンは、アラビア半島の北東端にある経済発展に邁進する、歴史と文化のある美しい国、ペルシャ湾の安定に関して日本や西側諸国に協力的な重要な国で、同国での勤務をとてもエンジョイしました。砂漠の国から雪が降る美しいアルバータに来ることが出来、本当に幸運だと思いますが、オマーンでは50度を超えるのに、ここでは零下20度になり、この温度差には参りました。
<カナダにおける日本の在外公館の歴史は?>
1928年に日本とカナダの外交関係が樹立され、オタワに大使館が設置されました。今年はこの外交関係の75周年に当たります。
実は、カナダにできた最初の在外公館は、在バンクーバーの総領事館です。カナダへの移民が始まったことにともない、明治22年(1889年)にバンクーバーに領事館が開設されています。トロントに昭和29年(1954年)、ウィニペグに昭和31年(1956年)に領事館が開設され、その後総領事館に昇格しました。モントリオールに昭和35年(1960年)、エドモントンに昭和42年(1967年)開設、昭和46年(1971年)総領事館に昇格と続きます。平成4年(1992年)の年末に、在ウィニペグ総領事館が閉館になりましたので、現在カナダにある日本の在外公館は、オタワの大使館と4総領事館です。
総領事館の設置場所は、両国関係や邦人の動向をみて見直されてきました。現在、カナダに総領事館を4館も置く必要がないと言う声もありますが、カナダ国土は広大で、アルバータは日本との関係も緊密です。
<在エドモントン総領事館の管轄地域は?>
アルバータ州、サスカチュワン州、マニトバ州の平原3州に加え、北西準州とヌナブット準州の2準州が管轄地域です。平原3州は全て日本の1.7倍から1.8倍ですし、全管轄地域は日本の14倍になります。1992年12月に在ウィニペグ総領事館が閉館になりましたので、在エドモントン総領事館の管轄地域がこのように広いものになりました。
アルバータ州以外の在留邦人は余り多くありませんし、邦人旅行者もそれ程多いとは言えず、邦人に関する深刻な事件や問題も幸いにして多くありませんので、これに助けられていますが、遠隔地にまで手が回らないのが実情です。最近、北西準州のイエローナイフでのオーロラ観光が発展していますので、北西準州にも注視して行く必要があります。
<最近、ワーキング・ホリデーや学生で短期滞在の方々が増えてきましたが、在留届の提出が必要ですか?>
旅券法第16条で海外に3ヶ月以上居所を構える者は、最寄りの領事館領事に在留届を届け出なければならないとされていて、本来法律的な義務事項です。罰則規定はありませんので強制出来ませんが、これは領事が邦人の所在を把握し、領事事務を適切に遂行するためで、邦人の皆さんに対するサービスの実施に必要ですので、是非とも励行をお願いします。
一旦、海外に出ますと何が起こるか分かりません。在留届を提出しておいていただくと、緊急時の連絡が可能になります。また、旅券の再発給等の場合に本人確認等の面で簡易措置を適用出来るので、皆さんの利益になるものです。
<エドモントン総領事館が閉館になると聞きましたが?>
総領事館の第一の使命は、邦人の保護と在留邦人の皆様方へのサービスにありますから、これまでも在留邦人や日本企業の数が圧倒的に多いカルガリーに移転するべきだとの声がありましたので、長い間、この問題を検討してきました。
エドモントンは州都であり、最近発展の著しいアルバータ大学などとの協力関係を背景に、これまで円滑な関係を結んできました。しかし、年間15万人余の邦人旅行者がカナディアン・ロッキーを中心に訪れていることから、何はともあれ、カルガリーで邦人の皆さんのお世話をするべきとの結論にいたりました。
2005年1月をもって、在エドモントンの総領事館を閉館することは決定しています。カルガリー方面にはこのように多数の在留邦人がおられ、また旅行者が来られるので、外務省としては、カルガリーに総領事館を開くことを決め、準備をしています。
在エドモントン総領事館閉館と同時に在カルガリー総領事館を開設するためには、予算措置やその他の手続きが必要ですので、その件については今の時点では100%確定とは言えない状態です。2005年1月にこのカルガリーに総領事館が開設出来ますよう、皆様の応援をお願いします。
★名物職員紹介★
パスポートの切替や婚姻届、出生届などの領事事務を手掛けて、在エドモントン総領事館勤続26年の渡辺由美子さん。いつも元気良く、明るさと手際の良さが評判です。「管轄地域内の日系家庭の出生届を受け付けたり、パスポート申請の度にこれらのお子さんの成長振りを見たりするのがとても嬉しい。また、1日領事館を開くために訪れる各地での地元の日系の方々との再会が楽しみ。どこに行っても歓迎を受け、その方々の喜ばれる顔を見るとどんなに忙しくても、明日へのやる気が出る」と語られています。
取材 遠藤千晶
ロープ・ウォーク
最近、本格的登山ウェアーを作っているメーカーのカタログなどを見ていると、綱渡りをやっている写真に出くわす。登山用のアパレルメーカーが、綱渡り用のウェアーを開発!? いいえ違います。
ロッククライマーが、毎日クライミングを続けていると、指に疲労がたまってしまう。実は、あの綱渡り、そのオフ日にやる遊びなのだ。本来は、ハングオーバーした岩を越える練習として木と木の間にピンと張ったロープを渡っていたが、いつのまにか、それが遊びとしてクライマーの間で広まったようだ。
ということで、今回、その綱渡りに挑戦! 昼下がりの公園で、ひとり綱渡りをやっている人物を見かけたら、人々は何を思うか・・・。そんな他人の目をちょっと気にしながら、友人に電話。
「明日、綱渡りやらない?」
どうやら、ちょっと変な奴だと思われたらしく、なんとも手ごたえのない返事ばかりだったが、10月半ばはかなり暇らしく、数人の友人が集ってくれた。
準備するもの・・・ まずはロープ。ロープといっても丸いものではなく幅3cmほどのテープ状になったロープを10m。それとは別に3mのロープ。安全環2つ。クライマーの間では「ヌンチャク」と呼ばれるカラビナが2つ。そして、短いテープロープでつながったまさに見た目ヌンチャクのものを2つ。クライマーがオフ日に遊びで始めたものなので、もちろん全てロック・クライミングの道具です。
みんなで手分けして、適当な間隔の木を探す。10mのロープを用意した場合、木の間隔は6〜7mぐらいが適当。バンフならセントラルパークがお勧め。そして地面にも注意。芝生が最高です。なぜなら下がアスファルトだと落ちたらかなりイタイはず。
僕らは、すばやく綱渡りに適当な木を発見。さっそく木と木の間にロープを張る準備を始める。議論の的となったのはロープを張る高さ。低すぎると、なんとなくツマランし、一方、高すぎると落ちた時、イタイ。今回初めての挑戦ということで、高さは控えめ。地面から60cmぐらいの高さに設定。
木と木の間にロープを張るには、かなり強くロープを張らないと、真中辺りに人が乗った時に体重でロープが地面に着いてしまう。簡単に説明すると、カラビナをプーリーの代わりに使い、木と木の間に張ったロープをありえないぐらい強い力で引っ張る。カラビナを巧みに使った、このシステムを作った人は天才だ。さすが、遊びにかけては命を張っているクライマー達と感心。
木にロープを張ったらトライあるのみ。言い出しっぺの僕からロープに足をかける。コツも何も分からない。とにかくロープに乗せた片足に全体重を乗せようとする・・・と、膝を支点に足が小刻みに左右に震える。見ていた友人全員大笑い。
「わざとじゃないんだ。わざとじゃ! じゃあ、やってみろ!」
笑っていた友人がトライ。同じようにロープに乗せた足に体重をかけた瞬間プルプル震える。日常では絶対見ることの出来ない奇妙な動きに一同爆笑。
これでは埒があかないので、両側から支えてもらいながら、なんとか両足でロープの上に立つ。そして歩行・・・ って歩けない。両足で立つのが精一杯である。まずは歩くことよりも、ロープの上に立つ練習。初めてロープの上に立ったときには「こんなもの、一生立てん!」と思っていたのだが、これがなかなか簡単。5分後にはロープの上で何とかバランスを保てるようになってきた。
しばらくすると、誰もが、ロープの上には立てるようになってきていた。今度は、誰が一番初めにロープを渡りきるかの競争である。誰もが勢いで3歩まではロープの上を歩けるのだが、それ以上なかなか進まない。そんな中、運動神経がよろしいと評判のケン君が一気にロープの半分まで制覇。コツは集中力との事。雑念が入るとバランスを崩すらしい。
さっきまでの大騒ぎとは一転して、シーンと静まり返る中、僕はロープに足をかけた。集中力、集中力! 一歩、一歩、確実に体のバランスが取れてから足を前に進める。「これはいける!」と心の中で叫んだが最後、ロープの揺れに絶えきれず落ちてしまった。なるほど、こいつは精神との戦いだ。
しばらくみんなで、自分自身との戦いを続けていると、ケン君が遂に端から端まで制覇。一同、「今日中には渡りきる!」と燃え上がる。その10分後には、僕も最後まで渡りきることが出来た。始めてから3時間。ものすごい進歩である。
大喜びしていると、友人のクライマー、ランディが僕らの姿を見つけて声をかけてきた。そいつは「俺にもやらしてくれ」と一言いうと、いとも簡単にロープの上に飛び乗り、渡っていった。しかも途中で方向転換。もとの場所まで戻っていった。すごいねーと感心していると。「イヤ、俺なんかたいしたことないよ。すごい奴はロープからバック転して降りるよ。」とのこと・・・。暇な人は究極を目指してください。興味のある奇特な方は私のホームページまで。
Let's Talk Like Canadians!!
BY Annette Aarts (Banff Education Centre講師)
〜英会話ワンポイントアドバイス〜
Get over(治る・克服する・忘れる)
Can't get over(〜には驚かざるを得ない)
今日は2つのフレーズについて学びます。"Get over"は病気や難しいことを克服(治る)する。その前にcan't をつけると"Can't get over" で、驚きを表します。
●Situation 1 (治る)
Teacher: How are you feeling?
Student: My throat is sore and I feel really hot.
Teacher: It seems that you have the flu. You
should go home and rest, drink lots of fluids and please don't come back to school until you get over the flu.
●Situation 2(忘れる)
Sherri: Why are you so sad, Emily?
Emily : My boyfriend broke up with me last week.
Sherri: Well, there's a girls weekend in Jasper this weekend.
Emily : Really? Let's go ! It will help me get over him.
●Situation 3(〜には驚かざるを得ない)
Gerry: Did you see that baseball game the other night?
Brent: Oh yeah! I can't get over how well the Yankees are battling.
Gerry: What? The Marlins are playing really well. I can't get over how much they've improved.
Brent: Well, we will see who wins the pennant.
バンフのローカル紙『クラッグ・アンド・キャニオン』(Crag & Canyon)。実はあの先住民族博物館『ラクストン博物館』(Luxton Museum)と強い繋がりがあったのをご存知でした?
ラクストン博物館は、今のクラッグ・アンド・キャニオンの創立者で、1903年から1952年まで週刊新聞を発行し続けたノーマン・ラクストンが建てたものです。マニトバ・フリープレスという新聞社の創立者を父に持ったラクストンは、カルガリー・ヘラルド紙でしばらく勤務した後、バンクーバーにおいて週刊新聞を始めます。
1901年、その事業があまり芳しくなかった頃、「手彫カヌーで太平洋横断」という冒険話を聞き付けました。さっそくジョン・ボス船長 との冒険が始まります。長さ10m、ウェストコースト・ヌートゥカ族が1800年頃に戦艇として作ったティリカム(友達)号でビクトリアを出航し、フィジー辺りまでたどり着いたのはおよそ5ヶ月後、ここで大嵐に見舞われます。カヌーから放り出され、珊瑚礁に落ちたラクストンは、全身に傷を負い、珊瑚熱を起こしてしまった為、やむなく航海を断念します。 (ティリカム号は現在ビクトリアのマリタイム博物館に保管されています。 機会があったら本物を見に行ってみて下さい。)
ボス船長とカヌーを見送り、オーストラリアで治療を受けた後、カナダに戻りますが、まだ傷の治りが芳しくない為、1902年、バンフのサニタリウム(サルファー山からの温泉を使った温泉病院 − 現在のバンフ国立公園管理事務所の所に建てられていました)に療養に来ます。そこでクラッグ・アンド・キャニオンというローカル新聞が売りに出ている事を知ります。
ローカル新聞といっても、1900年にアイク・バイヤースという出版者によって「ナショナルパーク・ガゼット」として創刊(3号以降はクラッグ・アンド・キャニオンと改名)されて以来、半年続いただけ。その後、バンフのサニタリアムを建てた元カナダ太平洋鉄道の医師Dr. ブレットの手に渡り、Dr. ブレットは、1901年のクリスマスにかろうじて1号発行しただけの状態でした。 Dr. ブレットに関しては、別の機会に詳しくお話します。
しかし、このローカル新聞の購入がバンフにおける彼の大成功の始まりとなります。ラクストンはやがてキング・エドワード・ホテル、サイン・オブ・ザ・ゴート・キューリオ・ショップ(現在のインディアン・トレイディング・ポスト)、そしてラクストン博物館 を建てていきます。
ラクストンがキング・エドワード・ホテルをオープンした頃のバンフは正にサマーリゾートで、バンフ・スプリングス・ホテルでさえ冬は閉館していました。そんな中、彼は年中無休宣言をします。冬場に営業する以上は、集客作戦が必要です。当時、クリフ & ジャック・ホワイト (ホワイト・ミュージアム創設者ピーター・ホワイトの兄弟) やシリル・パリス (今年閉店した、バンフでもっとも古いレストランの一つであったパリス・レストランの創立者の息子)などの力で、スキーを始めとしたウィンタースポーツが流行り始めていました。
このウィンタースポーツの成功を基盤として、ラクストンは地元の事業家と共に「バンフ・ウィンター・カーニバル」を企画。ジェームス・ハーキン(カナダ国立公園初代長官)やカナダ太平洋鉄道を始めとして、地元事業家からも大きな援助を得て大成功。バンフ・ウィンター・カーニバルはその後何年も続けられ、バンフを通年のリゾートとして定着させていく大きな要因となります。街の発展に貢献したラクストンは、 “Mr. Banff”として知られるようになります。
また、ラクストンは先住民、特にストーニーとの強い繋がりがありました。1904年に結婚した彼の妻ジョージーは、1860年代にストーニー族の土地に宣教師として来たジョージ・マクドゥーグルの孫娘。ストーニー族にとって、マクドゥーグル宣教師は、ロバート・ランドル宣教師が1840年代に去って以来待ちに待った宣教師でした。(ロバート・ランドル宣教師は1840年代にこの地に訪れ、ストーニー族に初めてキリスト教を伝えた人物です。彼らに信頼され、多大なる影響を与えたことから、バンフで最も有名な山の一つ、ランドル山に名前が残されています。)ストーニー族の土地モーレイに生まれたジョージーは、白人文化と先住民文化をみごとに混合した環境の中で育ちます。ストーニー族は、「嵐の後に幸福を招く人」という意味で、「レインボー・ウーマン」という名前をジョージーにつけました。ラクストン本人も、ストーニー族に対する深い理解と援助があった事から、ストーニー族の名誉市民として受け入れられ、「チーフ・ホワイト・シールド(白い楯)」という名前を与えられます。
ノーマン・ラクストンは、1961年に平原先住民の文化を中心としたラクストン博物館を作りました。現在は、クリー、ブラックフット連合、サーシー、ストーニー からなる先住民族文化協会によって運営されており、名前も「バッファロー・ネーションズ・ミュージアム」と最近改められました。平原先住民族に関しては、別の機会にお話したいと思っています。この博物館は、平原先住民族の文化と西海岸先住民族の文化との違い、そして何がそうした違いを生んでいったのかなど、興味を持てば持つほど楽しむ事のできる素晴らしい空間です。
1万年以上も前からこの地に生活していたと言われる先住民たちの文化を保存し、後世の人々に伝える為に建てられた博物館。クラッグ・アンド・キャニオンを片手に深い歴史の時空を覗きに行ってみる − 近所でできる大きな探検かもしれません。
志村房子資料提供:WHYTE MUSEUM of the Canadian Rockies
バンフ駅伝マラソン
〜日本人チームご紹介〜
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前号のバンフタイムズでもお知らせしましたが、「バンフエキデンレース2003」が10月18日(土)に開催されました。レースには、クロスカントリーカナダナショナルチームはじめとする招待チーム、純男子・女子、男子・女子マスターズ、男女混合など157チームが参加。アップダウンの激しい合計42.7kmのコースに挑みました。前日まで雨の降る寒い天候が続いていましたが、当日は一転快晴。好天に恵まれました。
今回、その157チームの中で、男女混合部門に参加した日本人チームがひとチームありましたので、ご紹介します。
「TEAM MOTO」はワーホリでバンフ在住の野沢主温さんの呼びかけで、大会のあった10月に入ってから、彼の友人達で急遽結成されました。全区間、ラストスパートをかけたい最後の1kmがバンフセンターまでのきつい登りという厳しいコースでしたが、全員無事完走。結成から2週間の即席チームということで、とりあえず出場全チーム数の半分くらいを目指そうということで出場したそうですが、終わってみれば3時間30分で157チーム中48位、男女混合部門では67チーム中18位という素晴らしい健闘ぶりでした。
<各選手のコメント>
蜂谷明宏さん 第1区(6.8 km)
「2週間しか練習できなくてなかなかタイムも伸びませんでしたが、本番では5分近く縮まったので満足しています。全員完走できたのがうれしいです。」
宮崎慎治さん 第2区(12.8 km)
「2区は12.8kmと長い距離なので、走りきれるか心配でした。でもいいペースで走れ、チームも目標よりもいい結果が出せたので良かったです。また同じメンバーで駅伝に出たいです。」
青山博美さん 第3区(5.0 km)
「駅伝という形式で走るのは初めてでしたが、自分ひとりだけでなくチームのためにがんばれてよかったです。」
大中美幸さん 第4区(5.7 km)
「メンバー全員が団結し、気持ちよく走ることができました。朝早くから応援にきてくれた友人達に感謝します。」
野沢主温さん 第5区(12.4km)
「日本人チームで、みんなが力を合わせて走れて本当によかったです。駅伝は日本人の心ですね。」
バンフの地形を利用した高低差の多い一方で、ロッキーの景色を楽しめるここならではの駅伝レースでしたが、1つのチームとして走った42km余りは、彼らのカナダ滞在のいい思い出になったのではないでしょうか。なお、大会の詳細は、http://www.mountainmagic.comに掲載されています。
2003年11月6日更新