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日本国大使、バンフ訪問
3月7日(月)、オタワの日本大使館から沼田貞昭大使が、西カナダ正式訪問の一環としてバンフを訪れました。
その日は残念ながら曇天で、自慢の山々の頂上も雲に隠れてしまいましたが、大使夫妻は在カルガリー日本総領事館の竹内総領事夫妻の案内でサルファー山を訪れ、その後「リムロック・ホテル」でバンフ町長をはじめとする町関係者らとの懇親昼食会に出席。午後は、バンフの町や国立公園の歴史資料が展示されている「ホワイト・ミュージーアム」を視察し、カルガリーへ戻られました。大使は、すでにブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアとバンクーバーへの訪問を済まされており、この後はエドモントンを訪問し、オタワへの帰着の途につかれるとのこと。
今回のバンフ訪問の際、過密スケジュールの中、取材にご協力いただき、沼田大使に直接バンフの印象などを伺うことができました。
<カナダ、オタワへの赴任について>
昨年12月30日に到着して、2月8日から大使として正式な公務を始めました。通常の任期は2年から3年ぐらいです。カナダは広いので、色々な所を訪れなくてはなりませんが、真っ先に今回は西カナダを訪問しました。
<カナダの印象は?>
寒い時期に到着しましたので、心の準備をしていたにもかかわらず、やはり寒いと思いました。でも、だんだん慣れてきて、最近は氷点下10度までなら暖かいと思えるようになりました。<今までの駐在国と大使としての難しさ>
イギリス、米国、オーストラリア、パキスタンが主な駐在国です。国によってその任務の難しさは違いますが、私の場合、2000年から2002年までパキスタンで大使をしている時に、2001年9月の米国同時多発テロ事件が起き、隣国アフガニスタンでの米英等の軍事行動が原因でパキスタン内の治安が非常に不安定になりました。やはり、人の安全が脅かされるような状況において、どうするかということが一番の難しさです。
<やりがいは?>
たとえばパキスタンの大変な時期、治安の不安定な中、そんな窮地にも現地在留邦人がみな協力しあって、連帯感を強める姿などに感動し、やりがいを感じました。それと、外交とは政府間の交流だけではなく、実際に人々の間や、町や町との交流が大変重要であると思っています。
<バンフの印象は?>
やはり素晴らしところですね。世界に名高い国立公園という評判のとおりです。公園といっても規模が非常に大きく、大自然を肌に感じられます。それに、その自然と動物を保護していこうという人々の高い意識に関心しました。人間と自然と動物の共存と調和が素晴らしいです。
<バンフ・キャンモア在住邦人へのメッセージ>
竹内総領事から、この地は人口比率的にも邦人の在住者が多く、観光旅行者も多いところではありますが、大きな問題は少ないと聞いております。それも一重に在住者の皆様が大変協力的で、地元への貢献度も高いからでしょう。これからも邦人の方々がお互い助け合って、よりよい地域の一部としてご活躍され、有意義に生活されることを心より願っています。取材・まとめ 遠藤千晶
生きている証を求めて
カナダ・ロッキーは、今回で6冬め、歩いた距離は合計5,000kmになる。なぜ、これほどまでハマってしまったのか、考えるようになったのは最近になってから。はじめのころはとにかく無我夢中で通っていた。これまで他の国の山もたくさん訪れたけれど、気がついたらカナダがいちばん多かった。
冬のカナダ・ロッキーの山は、二つの魅力を内包している。一つは、ただそこにいるだけで癒される自然の神秘。人手に荒らされていない原始の香りただよう世界。他の国にはない雄大なスケール。遥か連なる山並み、果てしなくつづく雪原。ひたすら歩きつづけ、ふと周囲の景色に目をやると、訳もなく満たされた気分になることが何度もある。
もう一つは、厳しい自然や自己と戦い、それらを克服する熱い喜び。冬のカナダ・ロッキーは、ひとたび山に入れば何十日も誰にも会わない隔絶された世界。スキーを履いても腰まで潜る深雪。いつおさまるとも知れない猛吹雪。行けど進めど目的地にたどり着けない不安。そして死の恐怖。
隔絶された冬山に何十日も一人で入るのは、精神的にも肉体的にもしんどい。けれども、何もせず易きに流される人生を送るのは、さらに耐えられない。かぎりある人生、生きている証を求めて歩きつづけたい。
私はかつてクライマーだった時期がある。有能といわれたクライマーの半数以上は20代で死んだ。何ごとも真摯に追求すれば、死ぬか止めるかだ。妥協しない人の多くは早死にした。
真の戦場カメラマンは、銃撃戦がはじまってからカメラのスイッチを入れるという。死ととなり合わせのなかで生を感じ、感性が磨かれてゆく。死を賭してこそ、決定的瞬間は輝き、最高作品が生れる。
多くの人たちは、そこまでしなくても、と言うだろう。でも、理想を貫くとはそういうことだ。失うことなしに、前へ進むことはできない。
星野道夫の世界にも、若くして果てたクライマーや戦場カメラマンにも、同じくらい「ピュアな心」を私は感じる。私もいつかは、死をも恐れぬ超越した彼らのレベルに達したい。そうした希求が、私を冬のカナダ・ロッキーへといざなっているのかもしれない。
3月下旬からまた冬のカナダ・ロッキーの旅がはじまる。田中幹也
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(写真は、以前のカナダ・ロッキー冒険中のものです。)
Mount Rundle (2,949m) 前編
バンフのガイドブックを開けば必ず出てくる山、マウント・ランドル。頂上が北側に向かってナイフのように尖っているのが特徴的です。当時住んでいた家からは、裏山のような位置にありました。
見た目から、相当難しいに違いない! と勝手に思っていたのですが、スクランブル登山の本には、バンフ近辺では比較的簡単と書いてありました。
もちろんそれは夏の条件のいい時の話でしょうが、冬でもそう大きくは変わらないだろうと高をくくり、寒さの緩んだ時を狙って、去年の1月に行ってきました。その時の記録です。
2004年1月5日 〜サルファー・マウンテン〜
ふと気がつくと、日本を出る前に福島に行った以来、全く登山らしき事をしていなかった。カナダに来て、初めてバンフで山登りらしい事をしたときも、トレッキングと言う感じで、それほど極端な登りもないコースだった。間が空いてしまうと、今の自分の体力的、精神的コンディションはどれほどなのか、わからなくなってしまう。そこで、ひとまず、家の裏にあるサルファー・マウンテンに登ってみる事にした。結果は以外にも上々。ついでに正面に見えるマウント・ランドルの写真も撮っておいて、後でじっくり研究する事にした。それにしても、−30℃の山頂は寒かった・・・。
2004年1月12日 〜偵察〜
部屋が快適なため(そして仕事も見つからないため)、午後まで寝ていることが多く、今日も昼過ぎに起床。何もしないのももったいないので、マウント・ランドルへのハイキングトレイルだけでもチェックしておこうと思い、家を出た。
普段は偵察じみたことはまずしないのだが、今回は行っておいてよかった。帰りに気づいたことだけど、正規のトレイルの入り口にはピンクのビニールテープしかなく、気づかないまま川沿いの違うトレイルをひたすら突き進んでしまった。コンパスを持っていくのを忘れてしまったため、さらに気づくのが遅れてしまった。仕方なく、樹林帯を無理やり直登して正規ルートに合流。何とか明るいうちにトレイルの終点近くまで到達出来た。ちょっと休んで、暗くなる前にさっさと退散。どうやら感覚は間違いなく鈍っているみたいだ。注意しないと・・・。(実はこの時見つけた道は、クライマーが使う全く別の道で、結局間違っていた・・・。)
2004年1月16日 〜本番〜
さて、いよいよ決行日。今日はノーケイスキー場でナイターが出来る日なので、お昼過ぎには下山しようと目論み、早朝4時に自宅発。下調べ通りに夜道をとぼとぼ歩き、前回見つけておいたピンクのテープの所から登山開始。
冬でもけっこう登っている人がいるのだろう。夏の登山ルートの上はしっかりしたトレース(踏み跡)が出来ている。快適なトレースに導かれ、短時間でどんどん高度を上げていく。でも上げすぎじゃないか? すかさずコンパスと高度計で現在位置を確認してみると、やっぱり方向がずれている。現在高度1,800m。これは前回の最高到達点とほぼ同じ高さだ。本来の道は斜めに徐々に高度を上げていくようになっている筈。理屈で考えれば、このまま樹林帯を真っ直ぐ横切っていけばそのうち正しいトレイルに出ることになる。うぅ〜ん、一体何の為の下調べだったんだろう・・・。こうして前回同様、森の迷宮に突入する羽目に・・・。
前回と違って、今回は早朝なので真っ暗。トレースもないし徐々に不安になってくる。クマは冬眠中だけど、クーガー(別名「マウンテン・ライオン」、肉食)なんか出てきたら・・・。本当は高度計が狂っているのかも(気圧を元に計算するタイプのため)・・・。ここで焦ったら遭難と一緒だ。暗いというのは、こうも気が急くものなのか。弱いなぁ、自分。上がったり下がったりしながら3時間、ようやく正規ルートに合流した。バンザーイ ! 正直、もう今日はこれで終わりでいいと思った・・・。
さて、仕切りなおし。トレースに沿ってスイッチ・バック(ジグザグ登行)で斜面を登っていき、ガリー(溝状の狭い沢)を二本横切り、ようやく"Dragon's Back"と呼ばれる場所まで到達した。ここまで来たら、あとはこの「竜の背」に乗って頂上まで真っすぐ登っていくだけ。しかし、ここからトレースがなくなってしまっている。仕方ないので適当に当てをつけて登りだすことにした。ところがトレースを外れたとたん、腿まで潜る雪をかきわけての歩行になってしまった。しかもひどいクラスト(雪の表面数センチだけが固まった状態。「乗れるかな」と思ってもズボッと潜ってしまい、体力のみならず精神的にもかなり辛い。)、さらに急斜面・・・。
しばらくして古いトレースにぶつかった。しかしこのトレースは、なぜか5mほどの岩壁に吸い込まれるように消えてしまった。 えっ、これ登るの・・・? ちょっと考えた後で、ちょうどいい腕試しにと取り付く事にする。久々で緊張したものの、案外楽勝だった。アイゼンをつけたらもっと楽だったナ。それで登ってみると、ちゃんと岸壁を巻いてくるトレースがあった。なんだ、やられた・・・。この辺でようやく日が昇ってきた。(次号へ続く)Shinji
Toshi の人生いろいろ日誌
「イースターからイイスタートを!」
「やっと出所ですね! さぁ、もう自由に外出できますネ! おめでとう!」
背に暖かい言葉のシャワーを一斉に浴びながら、久しぶりの外気を思いっ切り吸い込んだ。
「やっぱり、外の空気は格別だぁ!」
身体全体で春らしい日光を感じ、やわらかい風の香りを覚えた。出迎えの妻が「おつとめ、ごっくろうさんでした!」と迎えてくれた。え? 刑務所からの出所? いいえ、病院からの退院のひとコマ。さらなる妻の言葉が「出所」の喜びに拍車をかける。
「復活! 本当におめでとう! 」
あの日の医師の宣告
こみ上げる想いの中、入院していた3階の部屋の窓を見上げると同時に、あの日の神妙な医師の顔が最新式デジカメも顔負けのごとく鮮明に脳内スクリーンに映し出された。医師は、小声ながら威厳に満ちた声で、「これは先年、日本中を震撼させたあの病原菌にま・ち・が・い・ない!」と。
何とこの菌で、多くの人、特にお年寄りや子供たちが何人も命を落としたという。幸い、この「お年寄り」という言葉で、私は少し持ち直した(注:著者本人は中年であって、まだその仲間ではないと主張中)。しかし、医師は「体力的に危なくなっているあなたは危険です。この後、保健所の検査を経てどう処置するか決めさせていただきます」と続ける。(あぁ、とうとうごみの処理みたいに言われちゃったよ・・・。)日頃、「どんなときにも賛美! 逆境のときこそ感謝!」と寝言でも説教しているあのToshi牧師が、この宣告のときばかりはちょっとどこかへご出張中のようだった。
頭の中の自分が「危」、「死」、「菌」などの文字の樹海を漂っていた。負けてたまるか、と立ち上がりかけたそのとき、保健所の検査結果が・・・。別室に呼び出された私たち夫婦に告げられたのは、「陽性です。残念ながら正式な病原菌でした。よって直ちにご主人を隔離させていただきます」だった。
「え、隔離?!」(心も、ガクリ、なんて冗談も考え付かない緊急事態発生!)
まだ「まさか」という思いだけが、リングのコーナーにへばりついて頑張っている。一方、事態を冷静に受け止めた妻は、隔離の個室への引越しにかかった。「女性はお強い!」と思ったり、「もしかして保険なんぞに・・・」と、緊急時ほど最大限に働き者になる攻撃的・懐疑的思考脳コンピューターである。
復活の喜び
ところで、入院初日から続いていた尋常でない痛み、絶食の辛さは、今まで味わったことのないものだった。それだけに、お世話になった菌にも完全にさよならを告げ、春の日差し越しに投げかけられた「復活、おめでとう!」の弾んだ声は、今までの「暗黒菌」をもすべて吹き飛ばしてくれる最高のプレゼントだった。
これは復活は復活でも、私個人の回復の小さな小さな一物語。でも、世界の歴史の中での最高で唯一の復活劇、それがイースターである。これは救い主イエス・キリストの復活を祝う「復活祭」のこと。キリストは、十字架において私たちの罪の身代わりとしてご自分の命を投げ出され、そればかりではなく、私たちが全く新しい生き方を実現するために、新しい命まで与えてくださった。つまり、罪がもたらす死の力を打ち破り、神の御子イエス・キリストみずからがその復活の力を証明された。そのイースターの出来事によって、「もっとも高いハードル=死」が人生の終着駅ではなく、それを超えた「希望」があることを、私たちは知る。
新しい息吹が芽生えだすこの春の代名詞とも言われるイースターを知り、新しい息吹に力をいただいて、あなたもイイスタートを!
イースターおめでとうございます!
イースターの聖書の御言葉
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
(ヨハネによる福音書 11章25節)Grace Japanese Christian Church
牧師 村仲俊朗
Let's
Talk Like Canadians!!
〜英会話ワンポイントアドバイス〜
It's about time (that) = いい加減に〜をしても(が起きても)いい頃だ
「もう既にやり遂げていて当然の事柄に今やっと取り掛かった」、「とっくの昔に起こっているべき事柄が今やっと発生した」など、人々や物事の遅延に対して憤慨のニュアンスを含めて使われる表現です。
文法のポイント: このフレーズの後にThat 節を用いて、「やるべき事柄/起こるべき出来事」の内容を表現します。また「そんなことはとうの昔にやっておくべきなのに」という意味合いを強調するため、この表現が入った文の後には、「should have + 動詞の過去完了形(〜すべきだった)」という表現の文がよく続きます。
●Situation 1
Gary: Do you know what time the bus is going to arrive? I've been standing here for 20 minutes !
Dean: Yes, it should have arrived 10 minutes ago. I guess it's late today.
Gary: Here it comes now. It's about time!
●Situation 2
Sheila: It's about time that Tom stopped smoking. He should have quit a long time ago.
Mary: He tried many times. I hope he's successful this time.
●Situation 3
Denise: I finally quit my job. I'm not sure if it was the right decision.
Sheila: What? It's about time that you quit your job! You complain about your job everyday. You should have quit last year.
Denise: Yes, that's true. I think it is the right decision.
BY Susan Taylor (Banff Education Centre講師)
編集後記
春・夏シーズンに向けての求人広告が目立つようになり、冬の終わりを感じる今日この頃の編集部。春に向けての企画を考えているなかで思いついたのが、園芸コーナー。いや、ガーデニングといったほうがいいかな? 異常気象が多発して地球温暖化がいよいよ本格化してきているような気がする人も多いはず。それなら、温暖化の原因に挙げられている二酸化炭素を処理してくれる植物を育てるのも、地球にやさしい暮らし方のひとつになるでしょう。まあ、そんな大それた理由を挙げなくても、簡単に育てられる野菜やその育て方などを紹介するのもいいのではないでしょうか。乞うご期待!(り)
●冬のスキー情報コラム、モモちゃんの「スキー場へ行こう!」もご覧下さい。(3月17日更新)
2004年3月17日更新