











余談
南への旅 マッタリズム ミクロネシア
このポナペという島は 第二次大戦以前から 終戦ちかくまで 日本軍の統治下に あったためそのころ小学生だった人たち(現在70〜80歳の方々)は 日本語の教育を受けており 流暢な日本語を話します。 現在はアメリカの統治下で英語が主流になっている。
大きなリゾートホテルもいまだに無いため どこのサンゴも元気がよく 海はとても綺麗ですが (北緯7度)赤道に近いため太陽の光りが強く湿度が高いので カナダのすずしい空気になれた体には 少々きついときもありますが 日本の都会のように 38度や40度になることはないようです。25〜34度 一年中 常夏の国です。
そんな 気候のせいか みな よけいなことはしない、できるだけ動かないように しているようで、犬も人もごろリと よく寝ています、日本から来たひとたちは この島の人々の生活のペースにはじめは いらいら するのかもしれません、
ここの日本向け観光局のスローガンが! マッタリズムミクロネシア! と言い(まったり) この言葉で
この島々の生活ペースが伺える。
このあたりは 台風の発生するところで 生まれたばかりの小さな台風ですから 被害はありま
せん その後グアムあたりで 巨大な台風に成長して 日本に向かうそうです。
アメリカ統治下の影響か日本の影響か 広場では野球が盛んなところです、 老いも若きも 女性もスカート姿にサンダルで 多くの人々が 野球を楽しんでいるのですが ここではほかの野球と少し様子が違います。
みな守備もうまく それなりにレベルの高い野球です ところが 交代でバッターが変わり 打ってもだれも 走りません みんながサンダル履きで 走る気持ちが はじめからないのでしょう。この気候では走りたくない 気持ちは よくわかります 走る必要もないし それなりにみな楽しそうに 遊んでいます。
太平洋の真ん中で 海抜800メートルほどの山があるため上昇気流がおこり その部分が低気圧になり 雨がよくふります、必ず日に2度ほど 1〜2時間 はげしい雨が降ります。雨が多く 気候が温暖なためあらゆる果物(食料)がそこら中にそだっています。
大げさに言うと 寝てても 右手を伸ばせば モンキーバナナ 左手を伸ばせば パパイヤ そして
この海域ではマグロも大きな平アジも いろんな魚がたくさん釣れます。 海外から漁船が来て大量に獲らない限り 海の幸もいっぱいです。誰かが ひと儲けしようと海外に魚をたくさん売らない限り 、、 人が生きるうえで 不可欠な水と食料が 黙っていても 目の前にいつでも あるということです。 余計なことをしなければ 永久に自然界のバランスで無くなることはないはずですが、、、、ハワイへ留学したり住んでいた人の一部が リゾート開発をしようと 思ってるようでした 、、共存している、この微妙なバランスが崩れなければいいのですが。
海外 青年 &シニア 協力隊の方々が日本からの たくさん来ています、
どういう活動をしているのか それなりに 地元の人たちの生活の役にたってるのでしょうけど ここの人たちに 必要なものは なんなんだろう、、、、、ここで 必要なものは Tシャツとショーツとゴムサンダルとスカートを買える お金と 必要最低限の医療設備かもしれません。 カナダのネイティブと言われる インディアンやエスキー(現在はイヌイットまたはファーストネーション)の人たちも それなりに自然界と共存して いたのですが ヨーロッパからの侵略で毛皮と硝子だまの交換で始まり そのうち ここには存在して 無かった 疫病が入り多くの人々が亡くなり、、、アルコールが入り始め 生活がすさんで いきます。
6年前、 FIJI島のさらに南へ 離れ小島Kadavu島での話、 大きなリゾートホテルもない電気もない この島では日が落ちると カバという 植物の根をせんじて みなんで 飲みます、ウクレレで歌を歌いながら ココナッツを半分にした おわんのようなカップで 回して飲みます そのうちに気分は上々 うつろなひとみに変わり 熟睡の世界へ。。。。決して 酒のような もめごとや 言い争いもなく じょじょにメローな世界に入ります。 この島の人たちは 酒を飲みません、、また 必要もないのでしょう。 この島の人たちには この島にあった娯楽と快楽の世界があり 地球環境と何世紀も共存してきた 最も優れた民族の一つかもしれないなと そんな風に感じます。
ここの人たちの生活は 都会の生活をしている人たちから 見ると 何もなくて 不便で退屈な生活に感じるかもしれません (心を亡くすと書く)忙しいという言葉はこれらの島には 存在しない言葉かもしれまんせん。
観光局のスローガン まったり ずむ ミクロネシア! という 言葉が似合う島の人々の生活でした。

