赤道に近い 北緯7度の ポナペ島

2004年 ポナペ島滞在、 グアム島からさらに
南東に2時間ほど飛行機で飛んだところにある島です。、

太平洋を3年間クルーズしてきた 日本のヨット
 ペンギン艇 に 一月弱 お世話になリした。

この島独特のポンペイ スカート

世界各地を回ってきた 
北欧 アイルランド カナダ アメリカ
からのヨットが並ぶ

南太平洋の島々では タロイモなどの作物が育たない 土地でもよく育つ この
ブレッドフルーツという実は
食料がないときの 非常食となる

昼過ぎはスコールが降るので 洗濯物は 
途中で取り込まないと いけない。 
飲み水の確保はこのときにできる
湿度が高い地域で夜中は 風がやむと 
暑さで一度 目が覚めてしまう。

ポナペ島そばの小島のメインストリート 
バナナ パパイヤ やしの木が茂る 
頭上は気をつけないと あぶない? 

ポンペイアップルと言われる 南の島では
めずらしいく 酸味のある味のため そう呼ばれる 地元の女の子に実をわけてもらった。

ポナペ島の隣の小島にノンビリ暮らす人々 この小島は人口30人くらい
戦争前に日本軍が30年ほど駐留したいため ポナペの年配の方々は流暢な
日本語が話せる。このあたりでは 駐留していた 日本軍の兵士が どうやら残虐なことを
 あまりしてないため 親日的だという。  うそかほんとかしらないが このあたりに滞在していた
将校が地元の人のものは 盗むべからず という指令を出していたという話しを地元で聞いた。
決して 物質は豊かではないが 見知らぬ我々が尋ねてみると 
日本語で日本のどこからきなさった?、、、ここは 何もんにもないけど 
お茶代わりに、、 と言って ココナッツをご馳走してくれた、代わりに なにを
要求するわけでもなく 、、、あたり前のことのように 分けてくれた。
昔から おおくの南太平洋の島々の人たちは そういう習慣だったらしい
、、、、心の余裕と豊かさを感じてしまう。
丁寧にお礼を言い 別れを告げた。
自分も出来れば そうありたいと 感じさせてくれる〜〜反省! 




ポナペ島から セーリングでアンツ環礁へ 無人島
ダイバーたちに憧れの島である。

私が便乗したヨット ペンギン艇は環礁のちょうど
黄色の点のとこに停泊中 環礁内の水深は
10〜30メートル 隣の天燃の水路が珊瑚と
魚の宝庫である。熱帯魚の人気者クマノミのほか
大型のアジ サメ ふぐ エイ マンタ シイラがいる。

環礁内からの風景

環礁内からの夕景

長距離ヨットクル-ズをしている人たちのヨットの特徴をご紹介します 

奥のヨットの後ろに見える物で 舵の上の出っぱてる ブルーの物は
長距離で風にあわせて 自動的に舵をきる 自動操縦装置のひとつで
99%の長距離艇には着いている。 寝ていてもある程度の方向へは進む。
二人以上いる場合は 交代で貨物船とか大きな漂流物にぶつからないよに
見ている。


手間の船の後部上にある3枚羽は風で電気を作る装置 そのほかソーラパネルもある。
船の前にある 白いカバーのようなものは 南国で停泊中に風を船内に取り込むためのもの。
長距離で数年 低コストで旅をするためにも  釣りダイビング(素もぐり)で魚や貝を獲る
技術は不可欠、新鮮な魚貝類を食べることで ビタミン ミネラルなどの補給にもなる。

長距離クルーズの人たちは 渡り鳥のように 季節に合わせて 移動する、海流や
季節風の方向が地球の傾き(季節により) 変化するため それにあわせて 移動する。
地球の回転 傾き 気圧の変化など 自然の恩恵をうけ 共存しながら移動して行きます。

装置としては GPSで 自分の位置を確認しながら次の目的地へ
気象FAXで 天気図が送られてきます これで台風などを予測し避けていきます。
と同時にヨットは風で進むので風のよく吹いてる位置を確認しながら移動します。
高気圧の真ん中は通常無風地帯。
短波無線でほかのヨットや自国の仲間と交信をしながら 情報を得ていきます。

堀江謙一さんや 一部の冒険家以外は 実際にヨットで海を移動している日数は全滞在期間の
15〜20%程度で あとは気に入った 島が見つかると そこでノンビリ 船(住居)の手入れをしたり 上陸して島を旅したり ノンビリ過ごしながら 次の季節風を待ちます。

風の向くまま 気の向くままとは まさにこのヨットの旅のことでしょう、、、。

ペンギン艇 岩佐氏のおかげで またまた貴重な体験となりました。 

環礁内に停泊中のヨット
奥がカナダ艇 手前がアメリカ艇


南の島 ミクロネシア

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余談

南への旅  マッタリズム ミクロネシア

 

このポナペという島は 第二次大戦以前から 終戦ちかくまで 日本軍の統治下に あったためそのころ小学生だった人たち(現在70〜80歳の方々)は 日本語の教育を受けており 流暢な日本語を話します。 現在はアメリカの統治下で英語が主流になっている。 

 

大きなリゾートホテルもいまだに無いため どこのサンゴも元気がよく 海はとても綺麗ですが (北緯7度)赤道に近いため太陽の光りが強く湿度が高いので カナダのすずしい空気になれた体には 少々きついときもありますが 日本の都会のように 38度や40度になることはないようです。25〜34度 一年中 常夏の国です。
そんな 気候のせいか みな よけいなことはしない、できるだけ動かないように しているようで、犬も人もごろリと よく寝ています、日本から来たひとたちは この島の人々の生活のペースにはじめは いらいら するのかもしれません、

 ここの日本向け観光局のスローガンが! マッタリズムミクロネシア! と言い(まったり) この言葉で 
この島々の生活ペースが伺える。 
このあたりは 台風の発生するところで 生まれたばかりの小さな台風ですから 被害はありま
せん その後グアムあたりで 巨大な台風に成長して 日本に向かうそうです。

アメリカ統治下の影響か日本の影響か 広場では野球が盛んなところです、 老いも若きも 女性もスカート姿にサンダルで 多くの人々が 野球を楽しんでいるのですが ここではほかの野球と少し様子が違います。     

 みな守備もうまく それなりにレベルの高い野球です ところが 交代でバッターが変わり 打ってもだれも 走りません みんながサンダル履きで 走る気持ちが はじめからないのでしょう。この気候では走りたくない 気持ちは よくわかります 走る必要もないし それなりにみな楽しそうに 遊んでいます。 

 

太平洋の真ん中で 海抜800メートルほどの山があるため上昇気流がおこり その部分が低気圧になり 雨がよくふります、必ず日に2度ほど 1〜2時間 はげしい雨が降ります。雨が多く 気候が温暖なためあらゆる果物(食料)がそこら中にそだっています。 

大げさに言うと 寝てても 右手を伸ばせば モンキーバナナ 左手を伸ばせば パパイヤ そして 

この海域ではマグロも大きな平アジも いろんな魚がたくさん釣れます。 海外から漁船が来て大量に獲らない限り 海の幸もいっぱいです。誰かが ひと儲けしようと海外に魚をたくさん売らない限り 、、 人が生きるうえで 不可欠な水と食料が 黙っていても 目の前にいつでも あるということです。 余計なことをしなければ 永久に自然界のバランスで無くなることはないはずですが、、、、ハワイへ留学したり住んでいた人の一部が リゾート開発をしようと 思ってるようでした 、、共存している、この微妙なバランスが崩れなければいいのですが。 

 

海外 青年 &シニア 協力隊の方々が日本からの たくさん来ています、

どういう活動をしているのか それなりに 地元の人たちの生活の役にたってるのでしょうけど ここの人たちに 必要なものは なんなんだろう、、、、、ここで 必要なものは Tシャツとショーツとゴムサンダルとスカートを買える お金と 必要最低限の医療設備かもしれません。   カナダのネイティブと言われる インディアンやエスキー(現在はイヌイットまたはファーストネーション)の人たちも それなりに自然界と共存して いたのですが ヨーロッパからの侵略で毛皮と硝子だまの交換で始まり そのうち ここには存在して 無かった 疫病が入り多くの人々が亡くなり、、、アルコールが入り始め 生活がすさんで いきます。 

 

6年前、 FIJI島のさらに南へ 離れ小島Kadavu島での話、 大きなリゾートホテルもない電気もない この島では日が落ちると カバという 植物の根をせんじて みなんで 飲みます、ウクレレで歌を歌いながら ココナッツを半分にした おわんのようなカップで 回して飲みます そのうちに気分は上々 うつろなひとみに変わり  熟睡の世界へ。。。。決して 酒のような もめごとや 言い争いもなく じょじょにメローな世界に入ります。 この島の人たちは 酒を飲みません、、また 必要もないのでしょう。 この島の人たちには この島にあった娯楽と快楽の世界があり 地球環境と何世紀も共存してきた 最も優れた民族の一つかもしれないなと そんな風に感じます。 
 ここの人たちの生活は 都会の生活をしている人たちから 見ると 何もなくて 不便で退屈な生活に感じるかもしれません (心を亡くすと書く)忙しいという言葉はこれらの島には 存在しない言葉かもしれまんせん。



観光局のスローガン まったり ずむ ミクロネシア! という 言葉が似合う島の人々の生活でした。

追加記事 カナダのセーラーへ